私達が一般にものを見る場合、そのものの価値である値段を見るという場合、もう一つはそのものに宿している価値に目を向けて見る場合の二通りがあると思います。一般には前者の方で「これいくら」という見方が大方でしょう。さまざまの要求の下に作り出された時は、そのものの作り出される過程を知るだけに物を使ったりする価値以上にそのもののある事に価値もあったと思います。でも、使い捨てという程に物が溢れる時代にあっては、物に対して特別の価値をあたえられる事が段々少なくなってきたように思います。何もかも不足の時代にあれ程大切にしたのにと年輩の方は思っておられましょう。所詮時の流れ、次々と便利な良質のものが生み出されるのですから。しかし、みんなに使っていただくために誕生した品物でしょう。縁あって自分の手元に来てくれたのです。そんなことに感謝を持つ使い方はいかがでしょう。お米が八十八回人の手間の上にできたといわれるように、私達は使い捨ての時代にこそ物の命を尊ぶ心が必要だと思います。「日本人はお金を使うことが好きですし、最新の流行を追いかけたいという欲望が強い国民です。」と、先日、毎日新聞の余録に戦前の英国外交官夫人キャサリン・サンソンさんの著書「東京に暮らす」が引用されていましたが、六十年余りを経ているでしょうに現代と何の変わりようもないのに驚きです。この六十年の変化は大変な様変わりと誰しも思っていますが根本的には何も変わってないのです。このことはみんなの心の底にも物に感謝する心も失われていないと思います。身近かな物に対する本当の愛情も人として大事な「価値」だと思います。ややもすれば金銭に換算したものの見方が先行している時代です。物の命にも心をむけるものの見方が出来ることによって心豊かな方向に向かうことが出来るのではないでしょうか。
快 英 合掌